2004年12月の独り言

1(水)よく晴れました。

私はもう随分長い間「健康診断」というものを受けていませんでした。仕事柄、受けるきっかけがないという事もあり、なんとなく先延ばしにし続けていたのです。ある日の会話の中で、ダンナが急に心配になったらしく「今年中に受けといて!」と言い出しました。まぁ、私の実家は間違いなくガンの家系だし、「特に調子が悪くもないから。。」と放っておいて大丈夫というほどもう若くもないので、ここらでいっちょ受けてみるか、となった訳です。
前もって予約の電話を入れ、迎えた当日朝10時に受付、おじさんやおばさんに混じって(って、もう充分私もおばさん域に到達してますが。。)順番を待ち、問診部屋から心電図、血圧、尿検査、乳ガンのエコー検査、子宮ガン検査、採血、胸部X線検査、あと心音等を調べる診断を受けて終了。結果は4週間後くらいに届くそうです。ちょうど年末年始の頃ですね。そんな時に「再検査」なんて書かれてあったりしたら落ち込むだろうなぁ。。でも、もしそうだったとしても「少しでも早くわかってありがたい」と思わなきゃいけませんよね。


3(金)お天気持ちこたえました。

メディックスの第41回定期演奏会を終えました。今年は久しぶりに夏にジョイントを敢行し、しかも通年曲はひとつもなく、その上例年とは違う(4ステージとも指揮者が変わる)形をとった事もあり、個人的にはいろいろと心配な部分もありながら迎えたのです。演奏会自体の評判は、まだ日が浅くて聞こえてきていませんが、どうだったのかな?まずは、本当にお疲れ様でした。
常々学生指揮者とのステージを担当する事が多いのですが、正直なところプロの指揮者と共演するより苦労する事がたくさんあります。でも、なぜか振り返るとそれが「楽しかった時間」に変わるのです。音楽的な面から言えば、やはりそれなりの時間を費やして専門的な勉強を積んだ人にはどうしてもかなわないでしょう。それを差し引いても余りある「学生団ならではのいいもの」が、確かにあるような気がするからでしょうか。気力や体力は勿論の事、人の話を聞く柔軟性からくる「新鮮味」とでもいうような。それが元で彼ら自身が混乱したり悩んだりする事もあるけれど。でも、わからなければ何度でもアドバイスをくれる人達(指導者やボイストレーナー、ピアニスト)に聞けばいい訳ですし、基本的にはいつもそばにいる味方ですから、直すべき点を指摘し可能性を見い出してくれたりもするのです。これは使わない手はない(笑)。
そしてどんな失敗も、苦労せずに成功するよりむしろ豊かになるきっかけとなるでしょう。若い彼らには、もしかしたらまだ意味がよくわからないかもしれないけれど。だいたい、失敗をおそれて消極的にまとめた学生合唱団なんて、考えるだけでもつまらなくて聴きに行きたくないですもんね。生き生きと失敗して「若いっていいなぁ」と大人に羨ましがられるくらいがちょうどいいんじゃないかな。そんな生き生きした人達のお手伝い、どんどんしたいと思います。


4(土)午後から雨が久しぶりに降りました。

いやはや、終わりましたよ。難曲「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」!!元々オーケストラのために交響詩としてリヒャルト・シュトラウスが作曲したのですが、それを今回ピアノとオーボエ、クラリネット、ファゴットで演奏したのです。ほとんどのオーケストラ部分をピアノが全部担当しているような編曲で、最初楽譜が届いてパラッとめくった時、半笑いになりました。。とりあえず譜面が全体的に「黒っぽい」。。
それにしても、ワクワクドキドキとはこの事で、本番でテンポがあがったり、誰かが音を出しそびれたら崩壊してしまう危険性満載のこの曲、なんとか最後まで楽しみながら弾ききる事ができて、ホッとしています。個人的には、昨日のメディックスの本番が終わってからテンションが下がりきらずに今日を迎えたので、かえって脱力できて変な雑念も入らず良かったのかもしれません。応援に来てくれたヨシコちゃん、サトシくん、ももさん、雨の中ありがとね。


8(水)この時期にしてはあたたかです。

ここのところ、毎日なんだかバタバタと仕事がたてこんでいます。ちなみに今日は、9時半から13時までゆきやなぎのレギュラー練習、15時から17時半まで通崎さんちで合わせ、18時15分から20時までが谷混の練習。今、頭の中がかなりヘロヘロです。
通崎さんとは、この年末年始に学校公演の仕事をご一緒する事になり、天橋立の近くの野田川町という所で明日が公演初日となるのです。明後日もその近くで公演をするので、まず明日朝のクリトメリア練習をお休みさせてもらって、一泊して帰ってきます。人気者で忙しい私たち二人は(笑)今日の合わせが最初で最後、いきなり明日移動してすぐ本番です。でも、もう一緒に仕事をするようになってだいぶ長くなったので、合わせの時でもお互いに1から10までいちいち説明しなくてもわかるようになってきました。何事も続けていればいい事があるものですね。
一方、谷混はいよいよ19日の本番も近づいてきて、より集中度を高めないと行けない時期に入りました。昨日はホール練習でした。まだいろいろやり残しているようなので「一人一人がもっと頑張れ!」とハッパをかけていますが、どこまで通じているでしょうか。。。それにしても、学生たちによくあるのが、「pやppを見ると消極的になってしまう」という現象。「何か言いたい事があるのに大きな声で言えない。としたら、やはりその言葉はより濃密な意味をもつのではないか?」と思うのですが。。「p」とは、伝えたい事が減るという意味ではないのです。そういう事、もう少し考えて表現する力にしていけたら、きっと面白くなってくると思うんだけどなぁ。頑張れ、若い衆!!


9(木)丹後も今年はあたたかです。。

通崎さんとの学校公演「こころの師匠(せんせい)シリーズ」初日。朝11時すぎに天橋立に着くと、気持ちの良い海の景色が広がっていました。京都府教育庁の田尻さんと駅で待ち合わせて、公演先の京丹後市野田川町三河内(みごち、と読む)小学校へ。子供達は、マリンバはおろか生の演奏自体あまり接した事がないようで、演奏が始まった途端に食い入るように耳を傾けていました。特に低学年の子たちは大はしゃぎで、質問コーナーも体験コーナーも積極的でした。初日の反応はまず手応え充分です。終わって着替えて部屋を出ると、「握手して下さい!!」と女の子たちが駆け寄って来ました。もし、彼女たちの心の中に何か「いいもの」が生まれたなら嬉しく思います。この後、地元弥栄町にお住まいの通崎さんファンクラブ代表(?)土肥さんと合流して、私たちの宿泊先「ゆーらぴあホテル」へ。まず温泉に入って、夕食は土肥さんのお友達の関さんも来られて、マリンバ運転手の山田さんも一緒に皆でカニづくし!!お刺身でしょ、焼きガニ、茹でガニ、カニなべ、もうお腹いっぱいです。その後、土肥さん行きつけのスナック「幸子」で少し飲み直し、ママの娘さんにそれぞれ順番に送ってもらって解散。部屋のベランダから本当に降ってきそうなくらい美しい星空を見上げて、翌日8時に起きられるか心配しつつ就寝しましたとさ。


10(金)なんと2日続けて見事な晴天!丹後地方ではこの時期珍しい事だそうです。。

学校公演2日目。環境が違うせいか、寝ぼすけの私が朝6時に目覚めて、朝焼けというものを見ました。美しかった。。
さて、今日の会場は京丹後市弥栄町鳥取小学校です。ここにご近所の吉野小学校、黒部小学校も一緒になって総勢200余名の子供達が集まりました。ここの子供達は照れ屋さん、でも好奇心旺盛という感じでした。質問コーナーでも最初は誰も手を挙げません。でも1人、2人が挙げ出すとどんどん次々に続きました。歌声も1日目に比べると小さかったけれど、自分から歌う事よりも耳をすまして集中して聴いてくれていたのかもしれません。
終わってまた土肥さんと一緒に昼食を食べに「天風」というお蕎麦屋さんへ。車でずっと山道を通ったのですが、台風の爪痕も生々しいところがまだたくさんあり、かなりひどい被害だった事を痛感しました。食後、間人(たいざ、と読む)、網野町の海岸沿いを通って峰山に戻り、そこから特急電車に乗り、京都に19時頃到着し、解散。
今回通崎さんと初めての学校公演シリーズ、少し遠い所へ移動し、いろんな初対面で疲れは否めませんが、彼女に「私の鼻炎アレルギーも丹後では断然マシだったし、食欲もいつもよりあったし、健康になれた気がする!」と言わしめるほど環境も天候も良く充実した2日間でした。年が明けたら5校行く予定になっているので、今回やってみてわかった事を踏まえて、気分一新また新しい子供達に会いに行こうと思います。


15(水)いよいよ師走も半ば。でも暖かい。。。

ワタクシ、毎週ゆきやなぎの発声練習のために9時半頃練習場に入り、指揮者が来るまで適当に(えー、本当に適当です)団員さんたちと声出しをしています。私も一緒に「アーオーアーオーアー!」とやっている訳です。。このパターンでやり始めて、もう何年になるかなぁ。で、やはり継続とは何かしら効果があるもので、ここ数年ワタクシの声にまで異変が起きています。それは、このゆきやなぎの朝練だけが原因ではないかもしれませんが、大きなきっかけになった事は間違いありません。今朝練習に来られたきーちゃん先生が「エエ声出るようになったなぁ!大学の時に副科声楽でそのくらい出たらよかったのに。」と一言。当時副科でお世話になっていた頃は「声質はソプラノなのに音域がアルト」という全くデタラメな状態で(苦笑)、試験に歌うための選曲で苦労をかけたりしたのでございます(すみませんでした、先生。。)。でも、学生時代そんな声だったお陰で副科のレッスンはいつも早々に終了、残りの時間に先生の伴奏をさせてもらって興味が湧き現在に至る訳ですから、メリットデメリットは本当に表裏一体なのですねぇ。
声が出るようになってくると仕事の環境上歌いたくなってきます。それで、ゆきやなぎの無伴奏ステージで歌わせてもらったり、クリトメリアのオルガン伴奏ステージで歌わせてもらったり、アンサンブル・エヴォリュエ団員としてコンクールに出場したりと、活動の場を広げつつあるのです。さぁ、来年はどこで気持ちよく歌わせて頂こうかなぁ。。


17(金)冬らしいお天気。冷えてます。

今日は二人のアーティストのお話。
一人は下谷千尋さん。現代美術作家で、現在ドイツやオーストリアを拠点に大学で教鞭をとるかたわら作家活動をされています。今日午後、大阪の中央公会堂でセミナーがあり、聞きに行ってきました。石や土の表面に新聞の文字を印刷したご自身の作品などをスライドで見せながらお話をされたのですが、面白かった!最後の質問コーナーで、「今はインターネットの普及などで、印刷物と接する機会も減っている。印刷を使ったアートが過去のものとなっていく事をどう感じられているか。」という質問に対する彼の答え。「それは私も常に考えている事なんです。しかし、古くなっていくのを恐れる事はない。ただ、やった事に対して自分はどう考えてそうしたのか、と自問自答する事が大切です。現在というものは瞬間瞬間に過去になっていく。だとしたら、我々は未来に何かを求めていくより他にないでしょう。」と。それを気負う事なくサラリとおっしゃっていました。自信とは、反省と改良の繰り返しから成り立っているのかもしれないのですね。なんとも印象的な言葉でした。
そして夜は、待ちに待った「矢野顕子withくるりatフェスティバルホール」!この10月に、矢野さんとくるりの初顔合わせのCD「ホントのきもち」が発売され速攻で購入、チケットぴあでコンサート情報をチェック、先行予約の抽選のための葉書を出したらあっけなく当選、そしてフェスティバルホールの一階P列L2とL3という特等席で聴きました。「ホントのきもち」でのもう一人の仕掛け人、レイハラカミさんも出演され、超豪華メンバーなのでした。
演奏の合間に少しずつMCをされるのですが、矢野さん独特のあの可愛らしい声でゆっくりと、でもちょこっと笑いも織り交ぜながら話す感じがなんとも心地よくて、本当に最後の最後まで楽しく過ごしました。
印象に残ったのは、矢野さんのソロによるくるりの「春風」。この曲、私大好きなんですよ!前の携帯の着メロにしてたくらいに!名曲なんです。その証拠に、矢野さんも「あんまりいい曲なんで、平井堅クンに紹介しちゃいました!」とおっしゃってました。それから、今回のアルバムにも入っている「おいてくよ」。これもくるりの岸田さん独特の「懐かしいような、でもおいてけぼりのような、鼻の奥がツーンとするような涙味」の曲です。わかりにくいですか?聴いて頂けたらきっとわかると思います。
一番笑ったのは矢野さんのトークで、「舞台袖で、さぁ出発という時にバンドの面々が円陣組んでたので、私も入れてー、と一緒に入ったら、訳のわからない合い言葉だった」という話。実は、くるりの岸田さんもハラカミさんも京都出身で、「よく京阪を使うし、フェスにアクセスも便利」というんで、合い言葉は
「京阪乗る人、おけいはん!」
というコマーシャルのキャッチフレーズだったんだそうな。矢野さんは「東京から来た人間をバカにしている。。」と思ったそうですが、会場に向かって岸田さんが「京阪乗る人!」と叫んだ時にゃ、「おけいはーん!」と皆で答えたりして(笑)。
でも彼女のピアノを弾く様子は、力まず漂うような感じで大好きです。一ファンとして今後もずっと応援していこうと思います。


18(土)くもりっぽい一日。そんなに寒くなく。

昨日の下谷さんのお話にも出てきた事もあって、気になっていた展覧会(明日が最終日!ギリギリセーフ!)を見に行って来ました。
この度、大阪の中之島に移転した国立国際美術館の開館記念「マルセル・デュシャンと20世紀美術」展。私は恥ずかしながら本当に不勉強でして、彼の作品と言えば「L.H.O.O.Q.」という、モナリザに髭をつけたものくらいしか知りませんでした。ちなみに、今回展覧会の宣伝に使われた作品「泉(Fountain)」は、サイン入りの小便器です。なんじゃそら。でもこの作品、イギリスで「もっとも影響力があり、ショッキングだった20世紀の芸術作品」のベスト1なのです!ピカソやウォーホルを差し置いて!いやはや、その結果がショッキングな訳で。でも行って実際見たら、彼の人生や思想の変遷もわかって、なかなか興味深いものがありました。彼は、見る人に作品の解釈を強要する事を極力避けようとしていたそうです。それだけに、見る私たちはその謎めいた作品に対峙した時いろいろ考えざるを得ない訳ですね。昨日今日と立て続けに面白い事を見聞きして、頭の中がぐるぐる音を立てて動いているようです。


20(月)気味が悪いくらいに暖かい曇りの日。

今年最後の本番、大谷大学混声合唱団の定期演奏会が昨日終わりました。感じた事を忘れないうちに少し書いておきます。
副指揮者の植道くんの「飛行機よ」。春からずっと私も一緒にこの作品に触れてきましたが、昨日の舞台では植道くんをはじめ皆が今までで一番生き生きとしていて集中もしていて、大切に歌っているようでグッときました。あの第5曲目は、単独で歌うのとそれまでの4曲を受けて歌うのとでは景色がずいぶん違いますよね。お客様に伝わっていたら嬉しいのだけれど。。
佐藤先生とのステージは、「風景(無伴奏)」と「海のシンフォニー」。「風景」は客席で聴きたかった!それが残念です。。でも佐藤先生の舞台袖での表情を拝見して、うまくいった事がわかりました。「海のシンフォニー」はピアノが劇的な効果をもってかかれており、いつも弾いていて「冥利に尽きるなぁ。。」と思っていたのです。演奏会の少し前の練習から、少しずつそれがわかってきて伴奏にのっかってくれる人が増えてきたので、だいぶ楽になりました。伴奏を聴いてくれているかいないかは、実は弾きながらすぐにバッチリわかるし、歌う人達は伴奏を聴いてわかってのれば確実に音楽全体が変化します。あまりにも聴かずに歌われると、本当にムカツク事もあるんです(笑)。以前「先生って時々思いもよらない所で間違った音弾かはる事ありますよねー」とか言われた事がありますが(苦笑)、そういう聴き方でなく、ね。
正指揮者の萩峯くんの「新しい歌」。この曲は、いろんな合唱団によって歌われる人気の高い作品です。ピアノも効果的に使われているので弾いていて楽しいし、合唱のいいところを発揮してほしくて俄然張り切って弾いてしまうのです。昨日の萩峯くんは実に落ち着いた貫禄の指揮を見せてくれたように思います。人気曲だからこそ雰囲気にただ流されないようにと、懸命に練習していましたもんね。
そして松浦先生のブストとラターの宗教曲4曲。ブストは歌っている人達が羨ましいくらい素敵な曲でした。ただ無伴奏だったので、残念ながらピッチがどうしても気になりましたが。。。無伴奏曲は神経質なほどに細やかに「正しい音程をとる練習(耳も身体も)」をしないと、パートが揃わないし、あの独特の和音がうまく響き合わないのです。ラターでの森本先生のピアノが「救い主」に思えたりして。。そして、アンコールのラターと「空飛ぶうさぎ」での歌声の、安らぎのある透明感は素晴らしかったと思います。
終わっての打ち合げでは、なんだかビールがすすんでしまい、ご機嫌な調子になってしまいました(苦笑)。でも、今日も二日酔いなどなく元気です。みんなはあの後二次会でカラオケだったはず。。本当にお疲れ様でした。


21(火)くもり。久しぶりにちと寒い日でした。

今日は午後から飯沼さんのお宅にて、来年3月に予定されている「スプリングコンサート」(放浪予定参照)の初合わせに行って参りました。おとといの演奏会が終わるまでなんだか来年の事に取りかかれず(はっ!阪大男声のドボルザークもやらなきゃ!)、譜読みも未完成なままだったので不安でしたが、その事を咎めるどころか、「忙しい中よく譜読みをしていてくれたねー」なんて大きな心の言葉を頂いて、恐縮至極なのでした。14時から始まって19時過ぎに終了。長かったけれど、5人の歌い手さんについて早めにいろんな情報を得ておきたかった私にとっては、非常にありがたい時間でした。
そして帰ったら届いておりました、大きめの封筒に入った書類が。保健センターからの検査結果です。おそるおそる開けてみましたら、ほとんど全て異常なし。赤血球の値と肝臓のなんだかの値が少し高いくらいで、心配していた婦人科系なども無問題でした。ほっ。これを機会に毎年検査を受けて、クリスマスの頃には「異常なし」と書かれたプレゼントをもらえるように、今後も心身ともにタフなピアニストでありたいと思います。


24(金)くもり。高槻も寒い。。豊能郡はさらなり。。

今日は、今年最後のクリトメリア練習でした。いつもは木曜日なのですが、年末年始の都合で今週練習しておかないと3回抜ける事になり、それはマズすぎるという事で臨時練習日となった訳です。
そして今日は父の命日でもあります。内弁慶で決して友達がたくさんいた訳ではないけれど、大学時代はグリークラブのトップテナーで頑張っていた事。それがきっかけとなってレコードをコレクションし始め、ついに部屋の壁一面がレコードで埋まってしまった事。私がピアノを頑張ると決めた時、心配しながらも一番応援してくれた事。学生時代以来、学内試験でも学外公演でも可能な限り録音機材を持ち込んで、時には友人たちの分まで会場で録音をしてくれた事など、思い出す事はたくさんあります。ついに一度も面と向かってはお礼を言う事はできなかったのです。でも、そうして今の自分の姿を考えた時、合唱との共演が私の活動の大部分になっていたり、アンサンブルとしての音楽を楽しんで続けている事が父への恩返しになるのではないかと思うようになりました。
毎年世界中の人が賛美歌を歌ったりして神様に祈る日、私は普段以上に父を思い出したり祈ったりします。「大好きな歌が歌えなくなって、大好きな車が運転できなくなって、大好きなコーヒーが飲めなくなったけど、大好きな音楽が聴ける」と、病室にウォークマンと編集したたくさんのテープを持ち込んでいた父。病院の一階チャペルでクリスマスコンサートが開かれるとわかると、もう身体はかなり辛かったはずなのに最上階のホスピス病棟から杖をついて聴きに行った父。病院の先生が「痛くても決して弱音を吐かれませんでした」とおっしゃっていました。勿論いっぱい欠点だってあったけど、今思い出すのはいい所ばかりです。
今年の9月にあったクリトメリアのコンサートも、私がこの団で伴奏するようになって初めての単独演奏会という事もあって、父はいつものようにきっと客席のどこかで聴いてくれていたと思います。あのアンコールで舞台に広がった「夕焼け」、ちゃんと見てくれたかなぁ。。

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